kato-Special Features
長距離鈍行
夜汽車の旅
昭和50年代まで残り続けた4つの"夜行鈍行列車"
「からまつ」「はやたま」「山陰」「ながさき」
ブルートレインや新幹線が華やかな活躍をみせるなか、
地域の人々の輸送を支え、
多くの若者や働く人達の足を担い続けました。
実はこれらの列車には、
寝台車や郵便・荷物車との連結、
普通列車ながら付けられた愛称など
長い旅路・普通列車ならではの特長や魅力があり、
今の鉄道ファンにとっても非常に興味深い存在です。
KATOは今回、そんなユニークな夜行鈍行列車に注目し、
Nゲージ鉄道模型として製品化いたします。
「青春18のびのびきっぷ」を握りしめ旅に胸を躍らせた方も、
在りし日の夜汽車の風景に憧れる方も、
ぜひ模型で"夜行鈍行列車"の世界をお楽しみください。
夜汽車のはじまり
日本で最初に夜行列車が登場したのは明治22年(1889)、新橋~神戸間が全通した時だと記録されています。乗り換えなしで約20時間を要したため、必然的に夜間に運転する区間が生まれました。その後も鉄道網の広がりとともに、特急・急行列車といった運用や寝台車といった車両の登場へと発展していきます。
昭和33年(1958年)には20系客車が登場し、青い車体で固定編成の専用寝台客車を使用した寝台特急列車「あさかぜ」の運行が開始されました。ブルートレインと名付けられた愛称のもと、様々な夜行列車が登場します。
時を同じくして、同年11月には3等寝台車が普通列車に連結される運用が、北海道の小樽~釧路間(のちの「からまつ」)ではじまりました。
愛称を持った普通列車
新幹線を軸とした高速列車整備網が進められ、特急・急行列車の大増発が行われたほか高速バスの普及などもあり、ダイヤ改正の都度、急行列車への格上げや運行距離の短縮化などが行われて長距離普通列車の数は年々数を減らしていきます。昭和43年(1968)10月改正時点で、寝台車を連結する普通列車は全国5往復を残すのみとなりました。
函館本線・根室本線 423/424列車 -後の「からまつ」
関西本線・紀勢本線・阪和線 921/926列車 -後の「南紀」→「はやたま」
山陰本線 829・826列車 -後の「山陰」
鹿児島本線・長崎本線・佐世保本線 1421/1422列車 -後の「ながさき」
日豊本線 521/522列車 -後に急行「日南」に格上げ
B寝台車(2度の称号規定改正により3等寝台から2等寝台を経て改称)が連結されたこれらの普通列車も列車番号のみで認識されていましたが、寝台券を全国の「みどりの窓口」で予約・発券ができるようマルスシステム(座席指定券の発券システム・MARS)に組み込むため、昭和50年(1975)前後に各列車に愛称が与えられました。
これらの列車は周遊券や「青春18のびのびきっぷ(昭和58年以降は『青春18きっぷ』)」で乗車できるため、若者たちの旅行でも重宝されました。また、翌朝には現地に到着できるという利点から、B寝台はビジネスマンにとってもありがたい存在でした。
郵便・荷物列車としての役目、"夜行鈍行"の終焉
写真:RGG
"夜行鈍行列車"には、郵便・荷物列車としてのもうひとつの役目がありました。主要幹線や地域内から受け取った郵便物・荷物や新聞などを早朝に引き渡すという重要な役割で、必ず荷物車や郵便荷物車を連結していました。
しかし、こういった荷物列車の役割についても宅配便の普及や高速道路を使ったトラック輸送の追い上げにより、輸送量が減少していきます。
昭和50年代以降まで残った4列車も、昭和59年(1984)2月改正の鉄道による郵便・荷物輸送の廃止などもあり、「からまつ」「ながさき」が、その後座席車の12系化後を経て運行されていた「はやたま」「山陰」も姿を消しました。
KATO 夜行鈍行ラインナップのご紹介
参考文献:
鉄道ジャーナル 昭和51年9月号 特集・長距離ドン行の魅力と現状
鉄道ジャーナル '84 No.214 特集・昭和50年代の鉄道
ジェイ・トレイン 2013 vol.49 特集・夜汽車の時代I 1980's
2024 関水金属・KATO