kato-Special Features
飯田線“流電”を楽しむ
写真は試作品です。製品ページはこちらから
シリーズを振り返る
2013年より始まった飯田線シリーズは、
旧形国電ならではの個体差を忠実に再現し、30形式を超えるバリエーションを展開して
きました。クモハ52(流電)のリリースを
もって飯田線シリーズの旧形国電製品は
フィナーレを迎えます。
このページでは、クモハ52を中心に、改めてシリーズを振り返ります。
流電の共演形式を
年表から知る
色々あるけど、何がどう違うのかわからない。でも、わかるとその複雑さこそが魅力とわかるのが旧形国電。
今回は流電編成が横須賀色となってから引退までの約10年に注目し共演車両などを模型でご紹介します。
山間に響くエンジンと
吊りかけモーターの音
先程の年表にある横須賀色初期の1960年代後半に注目しましょう。
この時代、急行列車はキハ58系により運行され、急行「天竜」や「赤石」など2両を基本とした短編成の気動車急行が飯田線を走りました。山間部にはディーゼルエンジン音と吊り掛け音が響き渡っていたことでしょう。
貨物列車と“流電”
貨物列車に目を向けると、こちらも時代による変化が見られます。厳しい路線条件から、当時としても古典機であったED19やED18が長らく活躍。南部から直通してくる流電編成とも日常的に顔を合わせました。ED19は1976年まで飯田線を走り、流電より一足先に引退となりました。
ED62の登場
ED19の後継機として、1974年にED62が登場します。同機は中央本線で活躍していたED61を、厳しい飯田線の線路規格に適合させるために中間台車の増設などの改造を施して誕生。流電は1978年に引退するまでの4年間、ED19からED62へと移行する貨物牽引機、貨物列車とすれ違い、その変遷を見守りました。
80系の登場
1970年代後半には「天竜」などの急行列車は電車化され、165系が主力に。1978年には東海道本線から転属した
80系も姿を現し、クモハ52をはじめとする横須賀色の旧形国電の約半数を置き換えました。クモハ52は80系の登場により、全5両が飯田線から引退する事となりました。
飯田線 旧形国電の転換期
1978年、絶大な人気を誇った流電編成が全て引退し、飯田線の旧形国電にも転換期が訪れます。1983年までの5年間は、荷物輸送の必要性からクモハユニなどの合造車や出力の高いクモハ53など実用性の高い車両が多く残され、旧形国電最後の活躍を見せました。
番外編:新性能化後の飯田線
1983年、飯田線向けに製造された119系が導入され、約1年間をかけて最後の旧形国電を置き換えました。
先に置き換えを始めた80系は、2扉車体などが飯田線の用途に合わず一足先に引退。最後の1年間は119系と旧形国電が肩を並べ、新しい世代へと移り変わっていきました。
おわりに
流電にみる飯田線特集、いかがでしたでしょうか。
クモハ52は実車の世界でも、模型の世界でも
飯田線の旧形国電を象徴する車両です。
飯田線シリーズを既に集めている方はもちろん、
まだ手にされていない方にもお勧めです。
1次車は今年の12月、2次車は来年発売予定。
是非、ご期待ください。